ユネスコの第37回世界遺産委員会(カンボジアのプノンペンで開催)によって、

2013年6月22日、日本を代表する富士山が世界遺産に登録されました。

 

富士山と松。立派な景色です。

 

富士山は世界遺産じゃなかったの??

今さら??と思ってしまいますが、

富士山の世界遺産登録までにはおよそ10年に及ぶ

紆余曲折があったのです。今回はそんな中でも最後まで

議論の的となっていた三保松原について調べてみました。

 

富士山の世界遺産登録と三保松原

世界遺産に登録されるためには、

ユネスコの諮問機関(ユネスコが意見を求める専門機関)であるイコモスの

現地調査で世界遺産として登録する価値があると認められなければなりません。

 

富士山の現地調査は2012年の8月末から9月にかけて行われたのですが、

その結果、富士山と関連する土地について世界遺産としての価値が認められ、

イコモスからユネスコへ世界遺産登録への勧告がなされたのです。

 

が、その際の条件として、

日本側が世界遺産に含めていた三保の松原を除外する、

という厳しい条件が課せられました。その理由とは、三保松原の場所が、

富士山から45キロ離れているため、山の一部としては認めにくい。

また審美的観点から防波堤がネックになったという声もありました。

 

日本の三保松原に対する姿勢と世界遺産委員会

しかし、日本側は最後まで諦めず、

三保松原の除外に対しては応じることなく最後まで

その重要性を訴えることに決めました。

 

万が一、世界遺産登録に際して除外が決まっても、

追加登録を目指すとの強い決意がありました。

 

そして、運命を決める世界遺産委員会。

 

国際記念物遺跡会議(イコモス)の考えとは裏腹に、

世界各国から三保松原の重要性を訴える声が多数上がり、

最終的に三保松原も含めての世界文化遺産登録となりました。

 

三保松原に対する世界の声

最後に各国からどのような声が上がったか、紹介しましょう。

 

まず初めに声をあげたのはドイツ。

三保松原は最も優れた富士山の景観地であり、

世界遺産に含めるべき明確な価値があると明言。

 

その後、マレーシアからは、

砂浜と松林も富士山の一部であり、無形の文化的な価値を持つ。

よって、富士山との距離は関係がない。という声も。

 

さらにはセネガルから、

芸術家がインスピレーションを得る重要な場所。

ロシアからは富士山の一番の印象が得られ場所であると、

日本人以上に?三保松原から眺める富士山の価値を認める声が

多数上がり、今回の逆転劇は幕を閉じたのでした。


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